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2004年7月2日金曜日 [奥様]

うんざりするような暑さの中、新規デイサービス事業所の建築の
最終確認。所謂ダメ工指示を行う。
我々、施主側の意見はだいたい取り入れられた感じになった。

設計士はタイルの張替え指示や床や天井のクロスの破れなど
小さなチェックもする。流しの上のドアのずれや換気扇の仕舞
具合は私がする。

結局、玄関から廊下のライトは、和風のイメージを残して変更せず。
デイルームの明かりは2器増やす。
家電製品の搬入取り付けを終えてお開き。汗びっしょ。

本社に戻って、書類整理とエアコンの調子が悪いところをチェック。
近い内に、全部のエアコンのフィルターは掃除が必要だ。
細かい書類を整理してたら、また、汗が出るので本当に困った。

夕方、家に帰ると、奥様は明け番でテレビを見ていた。またまた、
TBSチャンネル(我が家ではやっちんチャンネルと呼んでいる)で
「金曜ドラマ 世界の中心で愛を叫ぶ」1日で全部見せます!だ。

今日のタイトルは、その番組の放送開始日です。もう、4年にも
なります。映画も見たけど、テレビドラマ用に潤色された内容で
映画には無い、別の視点のドラマとなっている。

原作は片山恭一さん。さっき、本棚を調べたけどどこにもないから、
友達に貸したままなのかな?

綾瀬はるかさんがかわいいね。どことなく、昭和の匂いがする。
高校時代から大学卒業まで付き合った彼女に似ているからかな?
映画の長澤まさみさんもいいけどね。

高校生の時に、その恋は突然に始まる。前にも書いたがスト権ストの
時の彼女だ。僕達の若い頃は、まだ、男尊女卑みたいな考えが根強く、
また、男子校に通っていたので、普通に男女交際するのが現代より
制限が多かったように思う。

デートなんてあまりしない。学校の帰りに待ち合わせても、誰かに
見られるだけで恥ずかしい。街を一緒に歩いても、彼女は3歩も5歩
も後ろを歩いている。だから、友達に見られても知らん振りしたりして。

一度、電車で水戸へ一緒に出かけた。今でもそうだけど、女子の買い物に
付き合うのはとても苦手で、その時も結局、彼女を怒らせただけだった。
バイクの後ろに乗せて、遠くに行くのは恥ずかしくなかったんだけどな?

同い年の女の子は、やっぱり男の子よりませているので、いろんな事を
話すわけだけど、僕は晩生だし、占いやドラマの恋愛なんて興味ないから
どうしても、彼女は楽しそうではなかったように思う。

およそ、8年も付き合ったのに、別れてしまったのはやはり「永過ぎた春」
なのかな?松山千春さんの「恋」やグレープの「交響曲(シンフォニー)」など
も、付き合いの長い二人が、なんとなく別れていく様を歌っていたけれど・・・。

やっぱり、8年も時間があるので、いろんな事がありました。
ここでは紹介しきれないし、小説風に書いてみようかな?別項目で?
「嫌いになったわけじゃないの」って、じゃ誰か好きになった人がいるのか?

友達以上恋人未満なんて言葉が流行る前の物語です。纏まったらダイジェスト
で、ブログにも紹介しよう。

やんなっちゃうな! [奥様]

昨日はブログを書いて、すぐ寝たのだけれど少し寝坊の月曜日。
会社に着くと社長から、スゴイコメントが入っているとのこと。
早速、会社のノートを開くと、「バーカ」だって。

奥様からです。バーカって何だよ!かなり、頭にきた。
もう、ブログなんて止めた!
ほんとにアホ臭い。アドレスなんて教えなきゃ良かった。

今日は、気分が悪い。だいたい、コメントするのに「バーカ」は
ないよな。本当にやんなっちゃうよ。
しばらく、ブログは休みます。

やっぱりね [奥様]

現在、午前2時を少し過ぎた頃です。今日は、奥様がとても怒って
帰ってきた。私は通常の勤務だったが、奥様は遅番だった。
午後9時、なんかイライラしている人を残してウォーキングへ。

9032歩は、上出来。すぐにお風呂に入る。風呂から上がると
奥様は誰かと固定電話で話している。これは、珍しい。
だいたい、固定の電話は滅多に使わないのに・・・・!?。

結局は、職場の上司と話していたらしい。かなり、職場で嫌な思い
をしたのだろう。それから、1時間以上も彼女の話しに付き合う。
内容は、ここにはふさわしくないので割愛するが、どこも職場の人間
関係には悩まされる。管理者の判断に任せるしかない。

私達の福祉業界は、女子の就業率が高い。当然に派閥や○○ちゃん
グループなどもあって、まとめるのが難しい。特に、悲劇のヒロインに
なりたい人が存在するのは、やってられない。

私のところでも、一人が目立つと誹謗中傷はあるし、個人攻撃も影で
噂して、エスカレートすると大変なので、大概は文書で職場の秩序や
集団意識を高める内容を出したりもしている。我々の思いが伝わるの
には時間がかかる。一人の非を鳴らすより和を持って尊しをなすだ。

前の職場では、副理事長から「和」と「輪」と「環」の意味とその大切さを
教示された。職場はチーム力だから、一人として不要な人員はいないこ
とに気づいてほしいものです。

ところで、今日の思い出日記は、「エレキ婆」と「エリーゼのために」だ。

「エレキばばあ」って、ちょっと表現はよろしくないが、小学校3年生の時の
担任の女の先生のあだ名です。とにかく、ヒステリー的に子供を叱り飛ばす
人でした。僕は、この先生がとても苦手で、教員採用試験の小論文にもとり
上げて、僕はこんな先生にはなりたくないと書いたぐらいです。

3年生になってすぐに、家庭訪問がありました。今では、家庭訪問もしない
学校が増えているそうですが、僕達の頃には、必ず5月の初旬に先生が
お家に来ます。

「Tくんのことですが、特殊学級に入れてはいかがでしょうか?」と先生は
切り出しました。
「どういうことですか」と対応する祖母。
「成績が、他の子供とかけ離れていて、授業についていけない子供を何人か
集めて集中的に遅れている教科を指導するクラスがあります」ときた。

「それで、家の孫はそんなに出来が悪いのですか?」と明治生まれの祖母。
「そうなんです。できればそのクラスで勉強した方が良いのではないでしょうか」とエレキ。

「それは、絶対にお断りします。子供にも自尊心がありますので」と祖母。
「えぇ、でも・・・。」しばらく沈黙のエレキ。

「とにかく、うちはうちで勉強させますから、どうか普通の教室でやらせて下さい」と祖母。
「分かりました。では、失礼します」とがっかりのエレキ。

玄関の隣の部屋で聞いていた僕は、「おれってそんなに馬鹿?」
「○○○、ちょっと来なさい!」呼び捨てですよ、かなりヤバイよこれは。
正座する僕。延々と1時間以上お話しする祖母。

でも、けして僕を非難したり怒ったりはしなかった。どれだけ家の手伝いをして頑張っている
かとか話したり、片親ですまないと詫びたりの話で、これからもっと勉強しなさいとは一言も
言われなかった。

僕は、おばあちゃんがこの子が今の先生との話を聞いて、傷ついていること、がっかりしている
ことを一番心配して話しているということは、その時は分からなかったけど、高学年の頃には
段々に分かるようになった。

きっと、一番ショックだったのは祖母だったに違いない。片親にしてしまったことへの後悔と
なんでも素直に聞く、やさしい三男坊が可愛くてしょうがなかったし、不憫だったのだろう。
それから、テストが返されるたびに、「そうか、70点も取れたのか、偉いね」とか「50点取れ
れば上出来だよ」とか僕のやる気を出させる、誉め言葉でうまく誘導してくれた。

丁度そのころに、お風呂場で襟足に半円形の脱毛症が出始めるのだけど、
「エレキ」のせいもある。
何故かって言うと、ある日の三時間目に教室の外を眺めていた僕は、とてもヒステリックに
怒り出した「エレキ」に窓から表に抱えて出されてしまう。「そんなに外が気になるなら、
ずっと外にいなさい!」

運動場では、一つ下の2年生が体育をしていた。みんな、僕の所に集まって、
「何やってんの?」
そりゃ、そうだ。だいたい悪いことしたら普通は、廊下でバケツ持ちが定番です。
授業中に窓から外に出された子供なんて見たこと無いもの。

給食の時間も外で食べました。校長先生が吹っ飛んで来て、「何してんですか!」
って僕に言うより担任を怒鳴りつけていた。体罰ですよ。今なら懲戒免職ものですよ。
午後からは職員室で勉強しました。僕にも反省する面はあるから・・・。
「中に入りなさい」とエレキに言われても無視してたから。意地っ張りは昔からです。

そんなことがあったりして、よく3年生の時は居残りで勉強もさせられた。
分数とか難しいって。カタカナも苦手だったな。夕暮れに一人、教室で書き取りとか
していると、必ず聞こえてくるのが「エリーゼのために」だった。音楽室で久美ちゃんが
弾いているのだ。

久美ちゃんはとても優秀な子で、ピアノの教室にも通っていた。たぶん、発表会の練習
をしていたのだろう。翳りいく教室とベイトーベンの名曲は、
今でも心がチクチク痛くなる思い出だ。

そんな日の帰り道、学校下の池の掃除をしているところに出くわした。大きな鯉やフナたちを、
大人の人が網ですくったり、手で捕まえたりしてドラム缶一杯にしていた。

「何してんの?」と聞いたら、池の底が泥だらけなので掃除しているんだって。魚はきれいに
したら元に戻すからドラム缶に水を入れて泳がしているんだって。
1メートルをこす魚を生まれて初めて見た僕は、とても感激して、居残りも悪くないと思うの
だった。

「明日も、掃除するよ」っておじさんが言ったので、
「明日も居残ろう」と今日の宿題もやんないと決める8歳の僕でした。

忙しい一日 [奥様]

七日連続勤務でダウンぎみの奥様。明日、頑張れば2連休。
忙しいことは、良いことです。僕も今日は、何だか忙しい。
朝から新規事業の申請の準備。社労士との打ち合わせを依頼。

午後は、勘違いで福祉用具の事業者関係との打ち合わせが、ミス
で無くなった。コピー機の相談と看板のレイアウトで業者と打ち合わせ。
4時半からは、定例会議。あっという間に一日が過ぎていく。

家に帰ると、ケント君が散歩の催促。ジャーキーが無くなったので、一緒に
近くのホームセンターまで、出かける。買い物の間は、ケント君は表でおとなしく
待っている。自分のエサを買ったのが分かったのか、嬉しそう。

ご飯が遅くなったので、ウォーキングは10時から、だいたい7200歩。
お風呂に入って、リビングに戻ると、奥さんはケーブルテレビでTBSチャンネル
を観ている。バブルの頃の、トレンディードラマの再放送を1週間で見せちゃう
番組。なんだか、付き合って見てしまい、現在午前1時。

明日もこんな感じで過ぎるかな?

さて、今日の思い出日誌は、昭和49年4月20日に遡る。
僕は、この日から日記を付けていた。正確には雑記帳若しくは覚書。
日付は毎日ではなく、飛び飛びで、だいたい7年から8年は断続的に続けた。

高校1年の春だな。森○先生に日記を付けなさい。文章が上手になるし、自分の
気持ちの整理もできるから、と言われて書き出した。確か文部大臣から表彰される
作文の募集に、僕が選ばれただったかな、国語準備室で。

あれから、34年が過ぎたのだ。残念ながら、日記は、ほとんどが手元に残っては
いない。その後も、5年、10年と間隔は開いたが、その時々に思い思いの文章を
書いてきた。

しかし、奇跡的に、学生時代最後の昭和57年の日記帳と平成4年と平成11年の
日記帳がある。平成になってからは文章量は極端に少ない。
今、少し読み返してみて、恥ずかしい感じがする。

とにかく、表現は稚拙であるし、感情もストレート過ぎてしまい、何か自分で書いたの
かと疑ってしまう。もう少し読み返して、紹介できるところは紹介しよう。

だけど、奥様もこの日記を読んだとか言っていた。うーん、どうなんでしょう?
「あまり、成長は見られない」とのご感想でした。
タグ:日記

世代交代 [奥様]

うちは、奥さんも働いているんだけど、
新年度の歓送迎会にうちの奥さんが参加。
大変な酔っ払いで、お迎えに行った。

この季節は、新しい人が来て、長い勤めを終えた人が去って行く。
二次会は、若い人たちで盛り上がり、奥さんは蚊帳の外だったみたい。
世代交代はやむを得ないよ。もう、15年も働いてるからと・・・・。

今の若い人は、酒席でも先輩とうまく話せないらしい。
まあ、会社の付き合いで無礼講は無いからな。
偉い人がいるときは、おとなしくしてればいいか、みたいな感じ。

二次会では、私らか゛若い頃は先輩を立てて付き合ったっけ。
だけど、羽目をはずした同僚は、次の日の朝、怒られたりして。
会社の飲み会は、今は少なくなったね。車のこともあるし。

花見をする会社も、今は少ないのかな?
千鳥が淵に大学があったので、今の時期は花見の場所取りの
ロープやブルーシートが昼ごろからあったりした。

昭和52年4月9日は、快晴微風。九段下の武道館で入学式。
満開の桜を見ながら、大学へ行って、入学ガイダンス。
田舎者には、見るもの全てが輝いてた。18歳の春。

あれから31年も時間が過ぎて、随分な大人になったけど、
きっと、あの時の青い空の色や薄ピンクの桜の花びらを、
忘れないんだろうなー、これからも。

さて、新年度が始まりました。皆さん頑張りましょう!
春の夜に 宴に浮かれて 炬燵寝の 明日の休みを 如何に過ごさん
また、1日損したって言うのかな?


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