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やっぱりね [奥様]

現在、午前2時を少し過ぎた頃です。今日は、奥様がとても怒って
帰ってきた。私は通常の勤務だったが、奥様は遅番だった。
午後9時、なんかイライラしている人を残してウォーキングへ。

9032歩は、上出来。すぐにお風呂に入る。風呂から上がると
奥様は誰かと固定電話で話している。これは、珍しい。
だいたい、固定の電話は滅多に使わないのに・・・・!?。

結局は、職場の上司と話していたらしい。かなり、職場で嫌な思い
をしたのだろう。それから、1時間以上も彼女の話しに付き合う。
内容は、ここにはふさわしくないので割愛するが、どこも職場の人間
関係には悩まされる。管理者の判断に任せるしかない。

私達の福祉業界は、女子の就業率が高い。当然に派閥や○○ちゃん
グループなどもあって、まとめるのが難しい。特に、悲劇のヒロインに
なりたい人が存在するのは、やってられない。

私のところでも、一人が目立つと誹謗中傷はあるし、個人攻撃も影で
噂して、エスカレートすると大変なので、大概は文書で職場の秩序や
集団意識を高める内容を出したりもしている。我々の思いが伝わるの
には時間がかかる。一人の非を鳴らすより和を持って尊しをなすだ。

前の職場では、副理事長から「和」と「輪」と「環」の意味とその大切さを
教示された。職場はチーム力だから、一人として不要な人員はいないこ
とに気づいてほしいものです。

ところで、今日の思い出日記は、「エレキ婆」と「エリーゼのために」だ。

「エレキばばあ」って、ちょっと表現はよろしくないが、小学校3年生の時の
担任の女の先生のあだ名です。とにかく、ヒステリー的に子供を叱り飛ばす
人でした。僕は、この先生がとても苦手で、教員採用試験の小論文にもとり
上げて、僕はこんな先生にはなりたくないと書いたぐらいです。

3年生になってすぐに、家庭訪問がありました。今では、家庭訪問もしない
学校が増えているそうですが、僕達の頃には、必ず5月の初旬に先生が
お家に来ます。

「Tくんのことですが、特殊学級に入れてはいかがでしょうか?」と先生は
切り出しました。
「どういうことですか」と対応する祖母。
「成績が、他の子供とかけ離れていて、授業についていけない子供を何人か
集めて集中的に遅れている教科を指導するクラスがあります」ときた。

「それで、家の孫はそんなに出来が悪いのですか?」と明治生まれの祖母。
「そうなんです。できればそのクラスで勉強した方が良いのではないでしょうか」とエレキ。

「それは、絶対にお断りします。子供にも自尊心がありますので」と祖母。
「えぇ、でも・・・。」しばらく沈黙のエレキ。

「とにかく、うちはうちで勉強させますから、どうか普通の教室でやらせて下さい」と祖母。
「分かりました。では、失礼します」とがっかりのエレキ。

玄関の隣の部屋で聞いていた僕は、「おれってそんなに馬鹿?」
「○○○、ちょっと来なさい!」呼び捨てですよ、かなりヤバイよこれは。
正座する僕。延々と1時間以上お話しする祖母。

でも、けして僕を非難したり怒ったりはしなかった。どれだけ家の手伝いをして頑張っている
かとか話したり、片親ですまないと詫びたりの話で、これからもっと勉強しなさいとは一言も
言われなかった。

僕は、おばあちゃんがこの子が今の先生との話を聞いて、傷ついていること、がっかりしている
ことを一番心配して話しているということは、その時は分からなかったけど、高学年の頃には
段々に分かるようになった。

きっと、一番ショックだったのは祖母だったに違いない。片親にしてしまったことへの後悔と
なんでも素直に聞く、やさしい三男坊が可愛くてしょうがなかったし、不憫だったのだろう。
それから、テストが返されるたびに、「そうか、70点も取れたのか、偉いね」とか「50点取れ
れば上出来だよ」とか僕のやる気を出させる、誉め言葉でうまく誘導してくれた。

丁度そのころに、お風呂場で襟足に半円形の脱毛症が出始めるのだけど、
「エレキ」のせいもある。
何故かって言うと、ある日の三時間目に教室の外を眺めていた僕は、とてもヒステリックに
怒り出した「エレキ」に窓から表に抱えて出されてしまう。「そんなに外が気になるなら、
ずっと外にいなさい!」

運動場では、一つ下の2年生が体育をしていた。みんな、僕の所に集まって、
「何やってんの?」
そりゃ、そうだ。だいたい悪いことしたら普通は、廊下でバケツ持ちが定番です。
授業中に窓から外に出された子供なんて見たこと無いもの。

給食の時間も外で食べました。校長先生が吹っ飛んで来て、「何してんですか!」
って僕に言うより担任を怒鳴りつけていた。体罰ですよ。今なら懲戒免職ものですよ。
午後からは職員室で勉強しました。僕にも反省する面はあるから・・・。
「中に入りなさい」とエレキに言われても無視してたから。意地っ張りは昔からです。

そんなことがあったりして、よく3年生の時は居残りで勉強もさせられた。
分数とか難しいって。カタカナも苦手だったな。夕暮れに一人、教室で書き取りとか
していると、必ず聞こえてくるのが「エリーゼのために」だった。音楽室で久美ちゃんが
弾いているのだ。

久美ちゃんはとても優秀な子で、ピアノの教室にも通っていた。たぶん、発表会の練習
をしていたのだろう。翳りいく教室とベイトーベンの名曲は、
今でも心がチクチク痛くなる思い出だ。

そんな日の帰り道、学校下の池の掃除をしているところに出くわした。大きな鯉やフナたちを、
大人の人が網ですくったり、手で捕まえたりしてドラム缶一杯にしていた。

「何してんの?」と聞いたら、池の底が泥だらけなので掃除しているんだって。魚はきれいに
したら元に戻すからドラム缶に水を入れて泳がしているんだって。
1メートルをこす魚を生まれて初めて見た僕は、とても感激して、居残りも悪くないと思うの
だった。

「明日も、掃除するよ」っておじさんが言ったので、
「明日も居残ろう」と今日の宿題もやんないと決める8歳の僕でした。
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