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入梅入り [少年時代]

ブログを二日続けて休んだ。今日はもう4日だから、6月に入って
3日間記事が載らないわけだ。
なぜか、忙しくてではないな。日曜日の講演会の帰り、嫁の実家に
寄ってねお母さんからある本を借りた。

記憶に新しい方も多いと思うが、風見しんごさんの手記「えみるの
赤いランドセル」です。私には子供はいないが、10歳のいたいけな
お嬢さんを亡くしたしんごさんの辛さが、滲みでるような内容で、
少し、ブログを書く気分にならなかった。

まだ、ほんの40ページしか読んではいない。今晩、残りは読んでしまう
かも知れないが、ちょっと躊躇している自分がいる。

夜のウォーキングも久しぶりで、8400歩ほど歩く。小雨が降ってきたので
いつもより短い距離になった。入梅はやはり暗くなる。
でも、子供時代の入梅にはこんなこともあった。

それは、小学校3年生の今時だ。次兄とは4歳離れているが、学年では3学年
になる。その6年生の兄が、「おい、お金ないか?」と突然に言い出した。
「なんで」と僕。「いや、竜神山の祭りがあるからよ、小遣いがあればと思って」
って言うのだ。

正しい名前は分からないけど、その頃には、毎年、竜神山という山にある神社で
雨祭りみたいのがあった。たぶん、雨乞いと豊作を祈念する祭りだと思う。
何軒か屋台がでる。香具師が綿飴だの焼きそばなどを売っている。
まあ、それが食べたいわけだ。

当時、小学校では農協に一人一人少額の貯金をしていた。その、集金が金曜日に
あったのだけど、僕はその日に忘れて、土曜日に持っていったけど預けられずに
教室の机に、置き忘れていたのを思い出した。

兄に、それを言うと「じゃぁ、使っちゃおうか」っていうので小雨の中、小学校まで自転車を
二人乗りして、お金を取りに行って、神社のところで、全部使っちゃった。
次の月に入金するまでにバレなければ、夏休みになっちゃうし、夏祭りの子供神輿でかなり
の現金が入るので、それで穴埋めすればいいかなんて、悪いことには知恵が回る。

だけど、おばあちゃんにはそんなことはお見通しで、神社から帰ってきたらすぐに
バレて怒られたっけ。なんでかな?よくよく、考えるとシャツの首回りがピンクに変色
していたので、すべてが露見したのかもしれない。

とにかく、兄は怒られて「お前が、煮イカなんか食べるからだー!」なんて八つ当たり
されたな。確かに、あの食紅で染まったイカは、食べる時に注意しないと着ているものが
赤くなります。

いつも、いまどきの小雨の降る日は、そんなことが思い出されます。

「あんちゃん、あんちゃんだってイカ食べてたよ」

タグ:竜神山

火事だ [少年時代]

それは、昭和44年の秋から冬に変わろうとしていた頃の夜中、「起きろ!
火事だ」って兄貴に叩き起こされた。火元は50メートルも離れていない。
風が私達の家の方に向かって吹いている。本当にやばいよ。

人間、あまりに恐怖が近すぎると変なことをしたり、何もできなかったり
するものです。僕は、着替えて昨日買ってもらった新しい運動靴を脇に
抱えて、燃え盛る火をブルブル震えながら眺めていました。

兄が、「とにかく、外に出て火の粉を消さないと」って言った。「ついて来い!」
この人は、行動力がある。(この人は、今、消防本部で働いています)
僕は言うなりに動く、火の粉は大人の拳くらいの大きさから僕の頭くらいの
大きさの物まで、たくさん風に乗って飛んでくる。

瓦葺の屋根には引火しないが、隣の梨畑や栗畑には燃えやすい藁などあって
走って行っては土をかぶせた。間違って藁をかぶせたら燃え上がってしまい。
兄に怒鳴られる。「バカ、何やってんだ」二人がかりで、土をかぶせた。

当時、村には消防署は無くて、近隣の市から2台くらい放水車が来た程度。
消防団も手押しポンプみたいのしかないし、バケツリレーで消火だ。
全然、消えない。出火したとなりはガソリンスタンドだ。引火したら町中吹っ飛ぶぞ。

朝方まで、燃え続けた火は、3軒分を全焼し鎮火。魚屋さんと床屋さんと出火した
老夫婦の家は、跡形も無い。お年寄り夫妻は亡くなった。逃げられなかったのだ。
他にけが人は無かった。ガソリンスタンドも防火塀で守られ事なきを得る。

しかし、小学校5年生の僕には衝撃的な夜だった。朝まで起きてたけど眠くない。
鎮火した床屋さんの前まで行くと、床屋の叔父さんが何か探し物をしている。
大切な道具でも、失くしてしまったのかな?

その、隣の魚屋さんでも、おばちゃんが何か水道で洗っていた。みんな、消沈しきった
顔だった。火事は恐ろしい。一夜で無一文だ。でも、みんな、頑張ってと思った。

床屋には跡取りのトシ兄ちゃんがいて、この人は子供の面倒見が良かった。
マンガ本も沢山置いてあって、いつ行っても読ませてくれた。夏の夜、近所の
子供達を集めて、花火をしてくれたり、怪談話で怖がらせてくれたり、面白い人だった。

火事の後も、僕達はよく床屋さんに遊びに行った。バラックに近い建物で、おじちゃんと
おばちゃんが働く、トシ兄ちゃんは僕達と遊んでくれて、近所のおじちゃん達がニコニコ
その様子を見ながら頭をやってもらっている。

みんな貧乏な時代だった。家を建て直すのも大変な時代だ。でも、誰もが気を使い、
協力し合って乗り越えた時代だった。

僕は頭の病気のせいで、この床屋さん一家には大変お世話になった。今もたまに実家に
行った時は、やってもらう。トシ兄ちゃんとその後の町の様子は、また、この次。

今日は、雨でウォーキングはできない。夕食後、寝てしまい、さっき目が覚めてお風呂に
入った。明日も仕事だから、又、寝ましょっと。

過去にもう一度 [少年時代]

今日は、四日ぶりに夜の運動にでる。花丸の8700歩オーバー。
風邪気味で休んでしまったので、これから、また、少しずつ距離を
伸ばしたい。でも、今日は、いっぱい汗をかいた。風邪は吹き飛んだかな?

さて、中国が大変です。ミャンマーもサイクロンですごい被害を受けている。
どうしたんだろう。世界規模的に天変地異だ。日本も対岸の火事でなく用心
が必要だろう。

ところで、一気に大学生時代に進んでしまった思い出日記。多分に記憶の断片が
蘇ることがある。そもそも、大学2年には、合宿生活だった新聞店から一人だけ、
アパートを借りてもらう栄誉を頂いた。
だけど、一人は寂しいよ。夜、一人になるとやはり、思い出すのは幼い頃のことだ。

小学4年生の時だと思う。気象クラブに入った。理由は、天気や星のことなど
にとても興味があった訳ではなく、日曜日や夏休みなど気象観測をすると、
先生からお小遣いがもらえるからだ。
どういう、仕組みだったかは分からないが、気象観測データを気象庁に報せる
課外学習の補助金が出ていたのだろう。現金には弱いから、子供は。

たいした金額ではなかったが、たまにもらえる200円くらいが、とても魅力的で
かつ、仕事の報酬として尊いものとして感じていた。

ある日曜日、たしか6月の梅雨の時期だった。気象クラブは当番制で日曜の観測を
することになっていた。だいたい、二人か三人で一組になり、気温・水温・湿度・雨量
水分上昇率を測っていた。その日は、僕と5年生の人と6年生の人の組の当番だった。

午前9時には、日付と天気を気象日誌に記入し、さっきの気温とか水温とか計測する。
ところが、9時になっても上級生達は来ない。雨がかなり降っていたこともあるが、僕
は仕方ないので、一人で観測を始めた。湿度や水分上昇率は4年生ではなかなか難
しい。だけど、一度は教わっていたのでなんとか記入する。

日誌には、三人で観測したように書いて、当直の先生に提出して、帰った。一人で
帰る道すがら、僕は思った。やっぱり、みんな僕のことが嫌いなのかなと。
なぜなら、その時が一番、円形脱毛症の症状がひどい時で、気象クラブでも一緒に
組んでくれる人がいなくて、無理矢理に先生が決めた感じで、まあ、ムリはいけません。

翌日、学校へ行くと、クラブの豊○先生が、僕のことを職員室に呼んだ。なんだろうと
思っていたら、いきなり怒鳴りだした。この先生のあだ名はライオンだった。
「こら、お前、昨日の観測記録、いい加減に書いたな!記録は嘘を書いてはダメだぞ」
って、僕は心の中で「嘘なんか書いてないのに、なんだよ」と思った。

担任が見かねて、「どうしたんですか」
ライオン「こいつが、嘘の記録をつけたんで叱っているんだ」
担任「おい、本当か。嘘を書いてはダメだぞ」
僕「・・・・・。」だって嘘なんて書いてないもの。
結局、ライオンは怒るだけ怒って、どこかに行ってしまった。担任に「もう、本当にダメね」
なんて言われて、なんかとても悔しかった。

それから、数日して、ライオンがまた僕を職員室に呼び出した。なんだ、また怒られるのか?
そしたら、いきなり「このまえは、すまなかった。よく、調べたらお前は嘘は書いてない」
「本当にごめん。悪かった」って何だよ。

実は、僕はまだ4年生だったから、蒸発とか難しい漢字が書けなかったし、意味も分からな
かった。記録には蒸発率とか記入するんだけど、それが、抜けていたし、一緒に来るはずの
上級生がいないのに、来たように書いたのが、先生には疑われたらしい。中にはいたのだ
観測に来てないのに、月曜日にいい加減に記録をつけている奴が・・・。

上級生たちが、本当のことを話したので、ライオンは僕に謝ったわけだ。
僕は、疑いが晴れたけど、モヤモヤっとした気分になった。

その上級生たちは、今は、市役所に勤めています。10億円も使い込みしなきゃいいけど。



今日は二度目 [少年時代]

今日は二度目の書き込みだ。夜も雨は止まないからつまらない。
ドラマも今一つ面白くない。長澤まさみさんが出ているドラマは
なんか、いやな感じ。やっぱり、普通に恋愛物をやってほしい。

だいたい、DVとかPTSDとかは、ドラマでやるもんでしょうか?
昔なら、噴飯物です。どうも、世の中の乱れを誘うようで怖い。
殺伐とした世の中だから、芸術や美術や文学が生まれると
かの、夏目漱石さんも書いています。

ところで、中学1年生の時の話です。僕の担任はとてもユニークな
方でした。確か年齢は今の僕ぐらいだったと思う。学年主任で強面
の男の先生だった。

先生の名は、コウゲンって言った。お坊さんもしている人で、この年
に定年までは、まだまだなのに、教師を辞めてしまいます。
なんでかと言うと、子供の僕には良く分らなかったけど、交通事故
にあって悲しい思いをしている人たちを救うために、お寺の仕事に専念
するようなことを仰っていました。たぶん、離任式の時に。

先生は、公教育の限界を嘆いていましたから、人を救うのは信心によるもの
仏教で救うものと考えられたのかと思います。しかし、厳しい先生でした。
結構、悪いことはしましたので、拳固やびんたは当たり前です。

1年生の最初の中間テストの時、部活はないし、勉強もやりたくないので
友達と中学に近い母校ではない小学校に行って遊んでいました。
そこの先生たちの通報で、翌日、朝一で怒られました。

全校朝礼の後、職員室の廊下に座らされて、試験は受けなくても良い。
なんて言われて、それこそ、殴る蹴るの暴力ですよ。別に何も盗んだり
壊したりした訳じゃないのに。まあ、軍隊式が残ってた時代なのかな。

けど、黙って殴られてるような子供じゃなかったんだな、僕は。
叱られる番が僕に回って来ました。初めは真面目に叱られていたけど、
正座を崩した時、上から拳骨を食らわせようとした瞬間に、その先生の
向こう脛いわゆる弁慶の泣き所を蹴飛ばしました。

先生に逆らうなんていうのは、その頃ある訳ないし、相手はびっくりするわ
ものすごく痛いわで、そりゃぁ、大騒ぎ。
それで、ものさしか竹刀かで、また、叩きに来たから、近くにあった消火用の
水の入ったバケツを投げつけてやりました。
体の小さい僕は動きも速いので、なかなか捕まらなかった。

もう、その日は試験はめちゃくちゃです。三年生の教室が職員室の隣から
並んでいたので、ほとんどの三年生が集まっちゃって。
その後は、部活の先生が間に入って、僕もやりすぎたと反省し、
校長室に連れて行かれました。しかし、また、長々と教頭先生の説教で、
うんざり、力じゃこの子はだめだと思ったのでしょう。反省文を書かされました。

当然、親は呼び出し。「こんな生徒は学校始まって以来だ」とか。兄たちも
かなり、悪い方でしたが、一番下が一番悪いと、ミドリ先生(兄の担任だった人)
に言われるし、部活の先生も全員の先生に謝ってたな。

だけど、水泳部の先輩たちは、テスト明けの部活で大喜びしてたっけ。
とくに、WADA先輩には何故か誉められたりして・・・トホホ。

おかげで、僕は学校で一番、目立つ生徒になりました。

今日は早起き [少年時代]

今日は、なぜか6時には、目が覚めた。少し散歩をケント君として
牛乳を飲んで、出勤です。7時半到着、曇り空だけど車を洗う。
しばらくして、あれっと思う。社長が来ないよ?

いつも、うちの代表は7時半くらいには、来てるのにおかしいな?
と思いつつ、洗車は終了。ぞくぞく、社員が出勤してくる。
常務は今日は休みなのは分ってたので、玄関の掃除とかする。

何気に、携帯をみたらメール。社長はお悔やみで休み。
そうか、早く来て良かった。仕事は、朝早く行くとスムーズです。
昼前には、一人の更新ケアプランは出来た。それに、いくつかの
電話もかける。月曜日は結構忙しい。

夕方の鍵を閉めて、退社。奥さんは新年度の飲み会だし、やることは
ないし、やっぱりケント君と散歩。ケント君は黒いラブラドールで6歳。
ほとんど、吼えません。番犬には向かないタイプ。でも、待てとお座り
はよくできる。夜の散歩も一緒に行くかな?

1970年は、万国博覧会がありました。「こんにちは、こんにちは、世界の
国から」と三波春夫さんの軽やかな声と楽しい音頭で盛り上がったね。
6421万人も来場者があったそうです。

その翌年、少し昨日も書いたけど、水泳部に入って厳しい練習に明け暮れる日々。
朝は、6時半には学校に行って、プールサイドを掃除します。陸トレの時もあった
けど、4月の後半は朝でもプールに入ります。

1年生は順番でお風呂当番があります。その日は、僕とコウイチ君が当番でした。
まだ、ガスのバーナーになってない時で、石炭と薪で火をつけます。
石炭で沸かしたお風呂は、肌に沁みるほどの痛いお湯です。

先輩にWADAさんという、ちよっと今で言うヤンキーな奴がいました。いつもは
キャプテンが一番に風呂に入るのに、その時は、WADAさんが一番に入りました。
お風呂って言っても体を石鹸で洗ったりはしません。冷たくなった体を温めるために
入ります。でも、一番に入ると、お湯が馴染んでないので、肌に痛みを感じるようです。

WADAさんは、痛かったのでしょう?「熱過ぎるよ、馬鹿野郎」と怒鳴りながら風呂から
飛び出しました。所謂、五右衛門風呂ですから、あまりに急ぐと背中や足もヤケドします。
とくに、慌てたのだろうけど、風呂から飛び出した拍子に転倒し、頭をブロック塀にぶつけ
てしまいました。

後頭部裂傷、流血騒ぎです。朝の7時前くらいかな、先生たちも来てなくてえらい騒ぎ。
救急車登場!
それから、何日かはWADA先輩は練習を休みました。そして、次に練習に来た時に、
散々怒られたのであります。それ以来、どうもこの先輩とはうまく行きません。

ところで、そんなにしてまでも練習していたくらいですから、当然、わが中学校水泳部は
県大会5連覇中で、とんでもない先輩もいました。全国大会や関東大会にも出れる人も
います。荷物持ちに1年生でも借り出されることがあります。

普通は、大会に行く人たちで荷物も自分で持ったり、後輩が持ったりするんだけど、代表が
少ない時は付き添いが必要になります。
先週の北京オリンピック選考会のように、標準記録とか選考記録を突破していれば、全国大会
にも関東大会にも出られるのです。何の因果か僕は、WADA先輩の荷物持ちに選ばれることに
なるのです。当然に嫌がらせをされました。

どうも、僕はいじめに合い易いタイプなのかな?

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