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龍馬伝の最終回を見る前に [歴史]

先日、家内からこんな質問があった。
「貴方は、前から龍馬が好きと言って居たけれど、私は
今回、福山さんがやったので好きになったのだけれど、
本当は、龍馬はどんな人だったの?」

「うーん、なかなか面白い質問だ」
「だって、30歳くらいで死んだんだから、本当にどんな人か
分かんないんじゃない?」
「うーん、確かに」

そもそも、龍馬さんが偉い人かどうかは自分も分からない。
若い頃に、小説を読んで好きになったくらいで、本当の彼に
ついては、その後にいろいろな人の本を読んだりして分かった
ことは多いけれど、どうなのですかね。

私は、やはり、茨城に生まれてずっと今も地元にいるので、
龍馬さんより慶喜公の方に関心は強かった。
昭和52年上京し、神田の古本屋で「徳川 慶喜」松浦 玲著
という本を買って読んだ。

江戸幕府を開いた家康公も立派だけれど、それを終わらせた
最後の将軍も偉いと思って居たし、そのように教えられたように
思う。もちろん、祖母や学校の教師によってだが。

しかし、松浦さんの本でもその他の本でも慶喜公は人気が無い。
幕末の動乱期に東照宮の再来とまで言われたのに、残念な人
だ。英明すぎたのかな?

最近では、田安徳川家の11代目当主の宗英さんが徳川400年の
内緒話なんていう本も出されていた、その中でも厳しい。
未だに、本家では慶喜公家を認めてない。

一昨年の大河での篤姫の中でも、嫌われている。まあ、大奥のリストラ
などをしようとしたり、結局、政権を投げ出したりしたとかで不人気。
大正2年の77歳まで長生きし、いろんな趣味に生きた人だけれど、
どうですかね。

さて、明日はというか今日は、龍馬伝の最終回。
いよいよ、暗殺されてしまいます。
ところで、当時、坂本龍馬なる人物について、どのような情報が
あったのでしょうか?

近江屋の二階に、数人の刺客が訪れますが、いったい誰だったの
でしょうか?実行犯は、十津川郷士を名乗り名刺も出したりしています
が、「こなくそ!」と叫ぶなど不審な点が多く、見回組の今井某の証言は
売名行為の恐れもあり、だからと言って、新撰組や京都守護職あたり
が、やったのか?本当のところは分かりません。

ただ、一緒に中岡慎太郎が同席していたことが、個人的にはとても気に
なります。この日の何日か前には、私と同郷の伊東甲子太郎が身辺
注意を喚起すべく訪ねたりしています。

では、なぜ彼が暗殺されたか?
敵はだれか、まずは、幕府側つまりは新撰組。遺留品の鞘もありかなり
怪しい。しかし、自分たちの証拠をそんなに簡単に残すか?
薩摩と長州はどうか?武力倒幕派の彼らには、確かに龍馬は邪魔な存在。
紀州徳川家も三浦休太郎らは明光丸の件で面白くない。

土佐の後藤も怪しい。なぜなら、大政奉還建白の手柄を独り占めしたい。
ましてや、中岡も本当に龍馬をどう思っていたかが分からない。
彼もまた、武力倒幕派である。

自分的には、若い頃に感じたのは、襲撃は1回でなく2回あったのでないか?
峯吉少年の証言や近江屋の使用人の証言からすると、時間的にはありうる
かもしれない。

11月15日(今では12月8日)は、かなり冷え込んでいた。龍馬は数日前から
風邪気味で、それまで隠れて居た土蔵から、母屋の二階に移った。
階段から吹き上げる風を防ぐために、屏風に刀を立てかけていた。

重い綿入れなど着込んで、動きづらかったので、初めの一撃が致命傷。
「石川、石川はおるか?」
「おう、ここにいるぞ」
「俺は脳をやられた。もうダメだ」
「龍馬、しっかりせい!」
「うぅー、もういかんぜょ」

それが、龍馬の最後の言葉だった。
襲撃後、二日は生き延びた慎太郎の証言である。

満33歳。誕生日が命日になってしまった。そんな短い人生でどうなの?
やはり、彼は恐れ多い人だ。
明日は、ハンカチが必要だ。青くなくてもいいから。
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大政奉還の意味 [歴史]

今日の大河は、いよいよ「大政奉還」です。鎌倉に源頼朝が
武家政権(幕府)を開いてから、700年に渡り政治を担当していた
武士が政権を朝廷に返上しました。

外圧と内政の不安により、統治能力がかなり落ち込んでいた
幕府(徳川慶喜公)は、公武合体派の土佐前藩主松平容堂の建白
を受けて、京都二条城にて在京の藩主または留守居役を集めて
意見を聞きました。

気短な慶喜さんは、皆さんの意見を聞く前に退出し、実際には
翌日、大政奉還を宣言します。フランスの後押しが期待できなく
なってしまったのも大きな要因です。

今では、歴史上でも坂本龍馬さんが後藤象二郎さんに話して、
容堂公に進言し、建白書を書いたことになっていますが、明治
になって30年以上これらの事実は発表されませんでした。

そもそも、坂本何某が何かしたなどとは、世間の人は勿論のこと
新しい日本になっても、誰がどうしたなんてことはどうでも良かった
のかもしれません。

実際には後藤は自分一人の手柄にしたかったのかもしれませんし、
龍馬を邪魔者と思った多くの人たちは、生き残ったものだけで、
論功行賞しようとしていたのです。まさに、薩長閥の奴らです。

折角の大政奉還も薩摩や長州には迷惑な話でして、武器や弾薬
を買い集め、それぞれの藩士はいきり立っているのに、肩透かし
みたいにされては、たまったものではありません。

現実的には西郷さんも武力での討幕以外の考えはなかったかも
しれません。鳥羽伏見の戦いは避けられなかったと見るべきです。
なにせ、武士達は突然に失業してしまうわけですから。

それから、10年は不平武士の反乱の嵐。あの時、龍馬を失わなければ
西郷もあのような死に方はしなかったと思います。勿論、大久保もですが。
フランス革命も清教徒革命も反動政治を生みました。

「歴史は、血をほしがっている」とは司馬遼太郎さんの言い方ですが、
大きく世の中が変わる時に無血での変革はありえないのですかね?
第二次世界大戦もその例にもれないのかもしれません。

ところで、今日、政権交代がなされたにも拘わらず何も変わらない
のは、本当の意味での変革がなされていない。
つまりは、血が流れていないことが原因かもしれません。

まあ、本当にテロとかクーデターが起これば大変ですが、何か
足りないと思うのは私一人ではないと思います。

ちなみに、来週は「龍馬暗殺」です。
19歳の時に、8巻もある単行本を読んで最期に龍馬が死んでしまう
くだりでは、涙が止まりませんでした。

大化の改新以来の御一新ですが、本当に龍馬が願った形とは随分
違うものになってしまいました。
しかし、今に繋がる大きな一歩ではあります。
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船中八策の意味 [歴史]

今年は、大河ドラマで坂本龍馬さんを取り上げていて、毎週
楽しく拝見している。
今日の回は、「船中八策」。たぶん、この作品の脚本家は
この場面が、やりたくて筋を考えてきたのかなと思った。

私は、長らく所謂「薩長同盟」を締結し、国の行く末を決める
ことが、彼の生きた証と考えていたが、うーん、なかなか
面白い。

土佐にあっては、一介の郷士の次男坊である。若い頃は、
江戸に出て、剣術使いになるのが夢で、田舎で小さい剣術
の道場でも開いて、農民や町人に勿論郷士相手に先生などと
呼ばれれば、けっこう幸せな人生を送ったのかも知れない。

ただ、親類に武市半平太さんなどがいたので、やはり、どうしても
幕末の激流に飲み込まれたかも知れないが、歴史にはifは
ないので、必然の結果だったのだろう。

ところで、ドラマや小説では、主人公ですから格好よく描いたり
しなければいけない。それで、作り上げられてしまった感が、
かなりの部分であるのだけれど、ここで、一つの注釈を入れたい。

そもそも、龍馬さんは何をしたかったのか?本人でないのでよく分
からないけれども、本人もよく分かってなかったかもしれない。
しかし、偶然の奇跡が幾度かこの青年に降りかかる。

何か知らないけれど、突然、思ってもみなかったことが閃くことが
ある。しかし、普通は忘れてしまったり、面倒だったりするけれど
彼は、少しだけ違っていた。

精神的には、おそらく、とてもゆとりがあったのか、それとも、愚鈍
なのか、当時の人々より100年は先を見てしまったのだろう。
歴史上に、志し半ばで悲運に倒れた人は多いが、彼もまたその
一人だった。

1867年6月、京にいる山内容堂公に、大政奉還を提案すべく
夕顔丸の中で、彼は、祐筆役の長岡謙吉さんに話しかける。
「長岡よ、このまま、大殿に会ってもなぁー」
「ひとつ、これから、ゆうことを紙に書いてくれんかのぉ」

「なんぜよ、龍馬」
「うん、じゃ、まずは、政権を朝廷に返すぜよ」
「誰が?徳川が返すかよ」
「まあ、聞きいや」・・・・。

後に、新政府綱領八策として、新政府の方針になる考えを
龍馬さんは、口述したのだ。もともと、この人は本をあまり読まない。
だから、漢字も多くは知らない、長岡さんはよく書類をまとめることが
できる人で、秘書よろしく龍馬さんは使っていた。

後の、二代目の海援隊長である。

さて、龍馬さんの考えは、要するに武力闘争での幕府解体ではなく、
公武合体派も一緒に、無血革命とまでは言わないが、平和裏に
政治体制を変革し、列強につけ入られること無く独立を保ちたい。
また、経済的にも権益的にも各国と対等に付き合いたい。
軍隊を持ち、海軍も持つ。力の無い国では外国と対等に付き合えない。
そして、法律も作り法治国家にしたい。議会がなければ、ただの野蛮な
国になってしまう。ともかくも世界と肩を並べることが大切だ。

ということなのだけれど、もし、慶喜公が受け入れなければ武力
での解決もあるかもと、かなり、複眼的に物を見ていた。
龍馬さんの道徳観にはあきれるくらい逆説的な表現や行動も多く、
この件も、誤解されたりしたと思われる。

また、後日に龍馬暗殺のくだりで、詳細を述べたいと思うが、今でも
彼は誤解されている部分は多い。
しかし、無私、無欲だったのは、どうかな?

彼がやりたかったのは、世界中を駆け回り交易し、大きな商売をして
みたいとか、まだ、見たことの無い全世界を見てみたいとか、結構、
単純な考えだったのかも知れない。

少なくとも、明治になって、23年もかかって議会ができたのは、
彼をあの時期に失ったわが国の大いなる損失ではあった。
自由民権運動も中江さんや板垣さんによってもたらされたが、彼らも
また、土佐の人だった。

蛇足だけれど、船中八策自体が存在しないとかいう愚かな歴史家もいるが
陸奥陽之助宗光さんが、治外法権の撤廃に尽力する背景には、龍馬さん
の考えが深く影響したものと思われる。彼も海援隊隊士だった。

ところで、ドラマでは、武力倒幕派の急先鋒に大久保一蔵さんを登場させ
ているが、この先が面白そうだ。龍馬暗殺の黒幕の一人とするのかな?
岩倉さんとこの利通さんが、日本を天皇制に強く導いた人だが・・・・。

西郷さんについては、後日に譲りたい。
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あさま山荘事件 [歴史]

今日は平成22年2月22日で、2並びの日だった。
だからって、特別に入場券とかは買わなかったけれど、
亡くなったお義父さんなら郵便局ではがきにスタンプを
押してもらうとかしてたかもね。

ところで、TBSで映画を観た。「突入せよ!あさま山荘事件」
1972年2月19日。日本中を震撼させた大事件が発生した。
全国で金融機関の襲撃や爆弾テロを繰り返していた連合赤軍
の兵士たちが、雪深い軽井沢の別荘地に突然出現。企業の
保養所である「あさま山荘」に管理人の妻を人質に立てこもった。
国民の9割をテレビの前に釘付けにした前代未聞の籠城事件、
「あさま山荘」事件の始まりであった。
 この日から事件解決までの10日間の様々なドラマを映画化した
のが「突入せよ!あさま山荘事件」だ。人質無事救出のため東京
から先導指揮にやってきた若き警察官僚の佐々淳行(役所広司)。
そして、命がけで闘った男たち。長野県警、警視庁あわせて3万名
に及ぶ猛者たちが繰り広げた壮烈な攻防戦の218時間をくまなく
綴った作品。

原作は佐々淳行さん。最近まで、テレビにも良く出ていた人ですね。
かなり、大変な事件でした。当時は、中学生だったかな?
昼間からずっとテレビで中継されていた。

学校から帰っても篭城は続いていた。ライブ中継で全国の人々が
事件の推移を見守った。2名の殉職者が出た。祖父が警察官だった
ので、一緒にテレビを見ていた祖母は、大変だな警察官はと言ってた。

しかし、この昭和47年は、本当にいろんなことがあった年だ。
同じ2月には冬季五輪が札幌で開催されたし、沖縄は返還されたし
アポロ14号は13号の失敗にめげずに月に行った。

あの頃は、いろんなことが熱かった。


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引退 [歴史]

大相撲横綱の意味と起源・・・今から17年前の歴史読本に
窪寺紘一さんが寄稿した文章がある。
当時は「若貴ブーム」で相撲人気が沸騰していた。

もともと横綱というものは力士の最高位ではなく、特別の
上覧相撲でもないかぎりは、大関が最高位であり、看板力士
は大関であった。

寛政元年(1789)に、谷風と小野川が横綱になり土俵入りを
行ったと記録にあるが、現在の69代までには、実際に存在
したかも疑わしい者もあり興味深い。

ところで、今風の横綱が生まれたのは明治23年(1890)からで
あり、その後もいろいろな都合で現在の形になったのは同28年
ころとのこと。

時代は降って昭和25年に、横綱があまりにも成績不振で降格騒ぎが
あった。その時横綱審議委員会が設置されて横綱は降格はなく、引退
とすることとなった。

しかし、成績が振るわず審議会の勧告で引退ならば分かるが、1月場所
に優勝した横綱が2月の初めに引退とは、まずあり得ないし情けない。
もう少し、違う方法があったのではないか?

マスコミも騒ぎすぎだと思う。場所中に野球観戦して引退した前田山
も、その後に親方高砂として高見山を育てた人だが、同じ同部屋での
相撲以外での引責のための引退となると、何か因縁めいている。

そういえば、天龍事件も二度あった。歴史は思いもよらないことで
繰り返される。確かに、酔っ払って殴ったのはいけないが、引退で
いいのか?

本人も弱冠29歳と言っていたので、今後の人生を頑張ってもらいたい。
しかし、自分が29の頃は、あんなにしっかりしてなかったし、すごい
人だと思うのですがね。

とはいえ、すっぱり相撲から足を洗って、今度はやりたいことをやれば
いいわけで、それでいいでしょう。歴史と伝統を大切にすることは学んだ
と思うから・・・。

一方で、まあスポーツと政治は違うけれど、小沢さんどうですか?
民主党には頑張ってもらいたいけれど、この人はダメじゃないかな?
あれだけ近くで田中角栄さんや金丸信さんの悪行を見てきても同じ
ようなことをするのが、私には理解できない。

まあ、不起訴ですから。彼には刑事責任は無いのでしょうが、道義的に
は、黒ですね。それこそ、潔く引退してはいかがか?
引退しても、どうせ裏で自分の思うように首相も操れるでしょう?

それじゃ、もっとダメだけどね。しかし、外国の青年が決断できたのですよ。
出処進退は自らやってほしいですね。夏の参議院選挙まで幹事長続投
なんてのはごめんです。

しかし、なんで野党の党首だった人にゼネコンは献金とかするんだろう?
まあ、政権交代を見越してなのかな?
でも、政党助成金を私物化しているようで遺憾です。

ともかく、真面目にやって下さい。
政治家も悪いことやるぐらいじゃないと良い事もできないなんてのは嘘ですから。
本当に良い政治家は悪いことはしない人ですよ。

明治維新の元勲にも悪い奴も多かったのですが、私利私欲なく働いた方も
多いのです。自分たちの政権交代を明治維新に例える民主党ならではの
自浄作用は期待できないでしょうか?無理かな?

本当は、大事な話し合いをなんとなく誤魔化しているように思うのは私だけかな?
タグ:相撲道
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