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船中八策の意味 [歴史]

今年は、大河ドラマで坂本龍馬さんを取り上げていて、毎週
楽しく拝見している。
今日の回は、「船中八策」。たぶん、この作品の脚本家は
この場面が、やりたくて筋を考えてきたのかなと思った。

私は、長らく所謂「薩長同盟」を締結し、国の行く末を決める
ことが、彼の生きた証と考えていたが、うーん、なかなか
面白い。

土佐にあっては、一介の郷士の次男坊である。若い頃は、
江戸に出て、剣術使いになるのが夢で、田舎で小さい剣術
の道場でも開いて、農民や町人に勿論郷士相手に先生などと
呼ばれれば、けっこう幸せな人生を送ったのかも知れない。

ただ、親類に武市半平太さんなどがいたので、やはり、どうしても
幕末の激流に飲み込まれたかも知れないが、歴史にはifは
ないので、必然の結果だったのだろう。

ところで、ドラマや小説では、主人公ですから格好よく描いたり
しなければいけない。それで、作り上げられてしまった感が、
かなりの部分であるのだけれど、ここで、一つの注釈を入れたい。

そもそも、龍馬さんは何をしたかったのか?本人でないのでよく分
からないけれども、本人もよく分かってなかったかもしれない。
しかし、偶然の奇跡が幾度かこの青年に降りかかる。

何か知らないけれど、突然、思ってもみなかったことが閃くことが
ある。しかし、普通は忘れてしまったり、面倒だったりするけれど
彼は、少しだけ違っていた。

精神的には、おそらく、とてもゆとりがあったのか、それとも、愚鈍
なのか、当時の人々より100年は先を見てしまったのだろう。
歴史上に、志し半ばで悲運に倒れた人は多いが、彼もまたその
一人だった。

1867年6月、京にいる山内容堂公に、大政奉還を提案すべく
夕顔丸の中で、彼は、祐筆役の長岡謙吉さんに話しかける。
「長岡よ、このまま、大殿に会ってもなぁー」
「ひとつ、これから、ゆうことを紙に書いてくれんかのぉ」

「なんぜよ、龍馬」
「うん、じゃ、まずは、政権を朝廷に返すぜよ」
「誰が?徳川が返すかよ」
「まあ、聞きいや」・・・・。

後に、新政府綱領八策として、新政府の方針になる考えを
龍馬さんは、口述したのだ。もともと、この人は本をあまり読まない。
だから、漢字も多くは知らない、長岡さんはよく書類をまとめることが
できる人で、秘書よろしく龍馬さんは使っていた。

後の、二代目の海援隊長である。

さて、龍馬さんの考えは、要するに武力闘争での幕府解体ではなく、
公武合体派も一緒に、無血革命とまでは言わないが、平和裏に
政治体制を変革し、列強につけ入られること無く独立を保ちたい。
また、経済的にも権益的にも各国と対等に付き合いたい。
軍隊を持ち、海軍も持つ。力の無い国では外国と対等に付き合えない。
そして、法律も作り法治国家にしたい。議会がなければ、ただの野蛮な
国になってしまう。ともかくも世界と肩を並べることが大切だ。

ということなのだけれど、もし、慶喜公が受け入れなければ武力
での解決もあるかもと、かなり、複眼的に物を見ていた。
龍馬さんの道徳観にはあきれるくらい逆説的な表現や行動も多く、
この件も、誤解されたりしたと思われる。

また、後日に龍馬暗殺のくだりで、詳細を述べたいと思うが、今でも
彼は誤解されている部分は多い。
しかし、無私、無欲だったのは、どうかな?

彼がやりたかったのは、世界中を駆け回り交易し、大きな商売をして
みたいとか、まだ、見たことの無い全世界を見てみたいとか、結構、
単純な考えだったのかも知れない。

少なくとも、明治になって、23年もかかって議会ができたのは、
彼をあの時期に失ったわが国の大いなる損失ではあった。
自由民権運動も中江さんや板垣さんによってもたらされたが、彼らも
また、土佐の人だった。

蛇足だけれど、船中八策自体が存在しないとかいう愚かな歴史家もいるが
陸奥陽之助宗光さんが、治外法権の撤廃に尽力する背景には、龍馬さん
の考えが深く影響したものと思われる。彼も海援隊隊士だった。

ところで、ドラマでは、武力倒幕派の急先鋒に大久保一蔵さんを登場させ
ているが、この先が面白そうだ。龍馬暗殺の黒幕の一人とするのかな?
岩倉さんとこの利通さんが、日本を天皇制に強く導いた人だが・・・・。

西郷さんについては、後日に譲りたい。
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