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大政奉還の意味 [歴史]

今日の大河は、いよいよ「大政奉還」です。鎌倉に源頼朝が
武家政権(幕府)を開いてから、700年に渡り政治を担当していた
武士が政権を朝廷に返上しました。

外圧と内政の不安により、統治能力がかなり落ち込んでいた
幕府(徳川慶喜公)は、公武合体派の土佐前藩主松平容堂の建白
を受けて、京都二条城にて在京の藩主または留守居役を集めて
意見を聞きました。

気短な慶喜さんは、皆さんの意見を聞く前に退出し、実際には
翌日、大政奉還を宣言します。フランスの後押しが期待できなく
なってしまったのも大きな要因です。

今では、歴史上でも坂本龍馬さんが後藤象二郎さんに話して、
容堂公に進言し、建白書を書いたことになっていますが、明治
になって30年以上これらの事実は発表されませんでした。

そもそも、坂本何某が何かしたなどとは、世間の人は勿論のこと
新しい日本になっても、誰がどうしたなんてことはどうでも良かった
のかもしれません。

実際には後藤は自分一人の手柄にしたかったのかもしれませんし、
龍馬を邪魔者と思った多くの人たちは、生き残ったものだけで、
論功行賞しようとしていたのです。まさに、薩長閥の奴らです。

折角の大政奉還も薩摩や長州には迷惑な話でして、武器や弾薬
を買い集め、それぞれの藩士はいきり立っているのに、肩透かし
みたいにされては、たまったものではありません。

現実的には西郷さんも武力での討幕以外の考えはなかったかも
しれません。鳥羽伏見の戦いは避けられなかったと見るべきです。
なにせ、武士達は突然に失業してしまうわけですから。

それから、10年は不平武士の反乱の嵐。あの時、龍馬を失わなければ
西郷もあのような死に方はしなかったと思います。勿論、大久保もですが。
フランス革命も清教徒革命も反動政治を生みました。

「歴史は、血をほしがっている」とは司馬遼太郎さんの言い方ですが、
大きく世の中が変わる時に無血での変革はありえないのですかね?
第二次世界大戦もその例にもれないのかもしれません。

ところで、今日、政権交代がなされたにも拘わらず何も変わらない
のは、本当の意味での変革がなされていない。
つまりは、血が流れていないことが原因かもしれません。

まあ、本当にテロとかクーデターが起これば大変ですが、何か
足りないと思うのは私一人ではないと思います。

ちなみに、来週は「龍馬暗殺」です。
19歳の時に、8巻もある単行本を読んで最期に龍馬が死んでしまう
くだりでは、涙が止まりませんでした。

大化の改新以来の御一新ですが、本当に龍馬が願った形とは随分
違うものになってしまいました。
しかし、今に繋がる大きな一歩ではあります。
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