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四川省・中国大地震 [小説]

真実は小説より奇なりとも申します。歴史的に見ても今回の大地震は
稀な出来事でしょう。いったい何万人の犠牲者が出たんだろう。
しかも、国家的な大事業を控えてのこの惨事は、何と言うことだ。

中国の歴史小説には、誇大な表現が多く、白髪三千畳や怒髪天を衝く
など、三国志や史記の中には日本人にも親しまれた言い回しがあるが、
死者1万2000人以上とは誇大な言い方ではないようだ。

被災された人々には、哀悼の念を禁じ得ない。一日でも早い復興を願う。
そして、立派にオリンピックを開催して欲しいものです。

こういう事が起こると、天からの警鐘だとか、人民の驕りだとか言う人が
出てきたり、急速な開発発展が原因だとか、訳の分からないことを言いふ
らす人がいるが、天災は避けられないし予測もできないから・・・。

特に、中国では子供は一人の政策を取っているので、小中学校が倒壊し
子供をなくされた人は、本当にかわいそうです。日本も、できるだけの支援
をして、早く平穏な生活が取り戻せるようになるといい。チベット問題も無く
なるといいね。「世界は一家、人類はみな兄弟」って胡散臭い奴が言ってた
けど、一理はある。

さて、今日は東京での生活を思い出日記に綴ってみよう。

新聞店の朝は早い。午前2時か2時半には、陸送のトラックが専売所にくる。
200部かな、ビニールに梱包されて届く。20個か30個くらいだった。
それを開封し、区ごとに部数を数え広告を手で挟みこむ。
前日までに届いている広告は何枚かにまとめてあるのだ。

時には、広告が20枚も30枚も入って、それを新聞と組み合わせるだけで、2
時間くらいかかることもある。配達は、午前4時から6時の間に行う。
かなり、時間が少ない。雨の日や風の日、嵐の日もある。本当に大変だ。

特に、雨の日は、今の時代じゃないので、ゴムのカッパですから汗だくになる。
だいたい、2時間の配達で体重は2キロから4キロも減ることもある。
当時は、身長が171センチ体重は56キロくらいだったけど、49キロになった
こともあった。それは、病気もあったからだけど、痩せすぎです。

まあ、なんとか、朝刊を配り終わると、全員で朝食を食べる。すごい量だよ。
若いし食べ盛りだし、浅草の相撲部屋に負けないな。僕もご飯だけで茶碗に
5杯は食べてた。食後は、部屋で少し休んで、学校に行く人予備校に行く人
それぞれです。だけど、夕刊配達があるので、午後3時にはまた、店に集まる。

夕刊配達も、光化学スモッグとか車の排気ガスがバンバンある中を配るから、
これまた大変。顔も手足も真っ黒になる。煤だらけだ。夕食後、みんなで銭湯
に行く。「銀座湯」高速道路の下にあった。僕らが入ると、お風呂が一発で真っ黒
になる。銭湯のおやじに、「みんなで一緒に来るなー」なんていつも怒られた。

もちろん、冗談だったけどね。でも、そこの娘が僕達と同じ年で、たまに番台に
いることもあって、恥ずかしかったな。だって、たまに全部見られちゃうから。
それで、その娘がいない時間に行くようにしたんだけど、どういうわけか、番台
にいないと、お風呂の見回りに来たりして、油断してるから、また見られたり・・・。

思春期は男も恥ずかしいのです。
タグ:銭湯

御宿 かわせみ [小説]

昨日は、「竜馬がゆく」からの引用だったが、今日は最近、連続して読んでいる
「御宿かわせみ」から
平岩弓枝さんの歴史小説?捕り物帳?まあ、大河物語かな。単行本では32巻
を数え、最近は「新御宿かわせみ」も出された。

時代背景は、幕末。舞台は江戸大川端。登場人物は、神林東吾と妻るい。
るいは、元は八丁堀同心庄司源右衛門の一人娘で、父が亡くなったあと、養子を
迎えず、市井の宿屋を開業した。東吾はそこの居候みたいに登場する。

東吾の兄は、八丁堀筆頭与力で仕事は一途。しかし、子供がなく、弟を跡取りと
考えていたが、様々な事件や人の繋がりにより、東吾とるいは結婚する。
物語は、二人の恋と江戸市中で起こる事件、捕り物の顛末で綴られていく。

江戸の風情と文化、幕末の様子と世間の出来事を織り交ぜる。バブルがはじけて
沈滞ムード景気と新世紀を迎える昭和から平成の移ろいがダブル。
そして、新時代を迎えて・・・。さて、現代はどうでしょう。

確かに、戦後の日本は、高度経済成長を経て、様々に価値観が変化し特に生活が
文化が急変しようとしている。冷戦時代の二局対決は無い。仮想の敵国は、イラク
と北朝鮮か。アメリカの景気低迷が、深く日本経済を左右し、政局も安定していない。

60年以上平和な時代を、近代では経験していない今、江戸太平の260余年に学ぶ
べきことは多いと思う。小説や映画でしか振り返れないようでは怪しい。
最近、昭和30年代へのオマージュかそれとも懐古趣味か、盛んに昔は良かったと
言う人がいるが、どうもね。

歴史に学ぶのは、その表層ではなくて、時代のニーズや庶民の生活を見つめた、
真の姿にある。結構、今も昔も変わらない。やるべきはやる。努力は報われる。
また、努力が報われないようでは、世の中が間違っている。

昭和53年、秋。新聞店が借りてくれた6畳の部屋で、まだ、明日の目的が定まって
いない僕は、目の前で泣いている一人の少女に戸惑っていた。同い年の19歳、
東北出身の彼女は、ほっぺが赤く、笑うと目が細くなるチャーミングな娘だ。

夕刊配達が終わり、アパートに帰る。午後6時は過ぎていた。一人きりの部屋だし
合鍵はないし、なんでどうしてこの人は、この部屋に居るの?
もちろん、当時の彼女の一人ではあったが、突然現れても、困ります。

会話はない。ただ、両膝を抱えて泣くばかり。理由を聞いても、どうしてここにいるのか?
泣いているのか?返事は無い。しばらくして、すくっと立ち上がり、帰って行った。
頭の中は「???」だらけ。世の中いろんなことが起こります。

想像ですが、その時の少し前、その部屋にはもう一人女の子がいたようです。
たぶん、大学の女友達か田舎から一緒に上京した彼女かです。
確かめる術が無かったので、今も想像としかいいようが無い。

それから、三ヶ月が過ぎて2月になったばかりの頃、銀行に就職していた彼女から
こんな風に言われた。「誰にでも優しくするのは、良くない」「誰にでも同じように
話をするから、傷つく人はいるんだよ」と。

女子の気持ちは、今も分りません。



タグ:失恋 恋物語

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