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事件その1 [少年時代]

夏は過ぎ 風あざみ 誰の憧れにさまよう
青空に残された 私の心は夏もよう
ご存知、1992年の同名映画の主題歌です。

少年時代にも、様々な出会いや別れがあるものです。
一年一年、心と体が成長し時にバランスを失い、時に
すばらしい体験をし、やがて思春期に向かう。

事件は、夏休みが終わり、2学期から教室が移った、鉄筋コンクリートの
新校舎の2階の階段の踊り場で起きました。
それまでの、木造校舎とは違って、廊下がリニウムになり、ワックス
がビンビンにかかっている。

子供たちは、廊下を走ります。「廊下は走ってはいけません!」
ってのは、学校が始まって以来の百年経っても守れない校則です。

ロダンの彫刻に考える人っていうのがあるけど、そのレプリカが
あの、廊下と階段との突き当たりに飾ってあった。給食の時間が
終わって、昼休みだから元気に、校庭に出ようとする、その時、

どうした弾みか、その考えてる奴にぶつかったのだ。階段から、転げ落ちた
芸術作品の偽者は、全身打撲、右腕損傷、見るも無残な姿になった。
そして、僕は反動で、近くを歩いていた担任の女の先生に体当たりした。

保健室で、手当てしてもらって、まっすぐ校長室だ。教頭に怒鳴られた。
半泣きで正座してたら、校長先生から、「今日から、しばらくこの部屋に
毎日、休み時間に来なさい」と言われた。

なんか反省させたかったのかな?後で分ったことだけど、担任の先生は
しばらく休みになった。クラスは隣の男の先生が全部面倒を見ることに
なった。50人くらいいたと思うけど、教室に入りきれない状態で、授業を
受けたな。でも、僕の休み時間は、校長室だった。

この校長先生は、たぶん、この小学校で定年になった人だと思うけど
とても真面目だけど、ユーモラスのある人だった。名前はカナメ先生。
ロダンの奴は、その当時の偉いさんからの寄贈品で、たぶん高価な
物だったに違いない。けど、形のあるものはいつか壊れるからって
その事には、あまり触れなかったと思う。

校長室では、怒られた感じではなかったな、いつも。
僕は、勉強は中の下ぐらいで、全然目立つ方ではなかったけど、
自律神経失調症で、円形脱毛症があったり、泣き虫だったので
今で言う、「いじめ」に合わないように、隔離政策をとったらしい。
だいたい、3ヶ月くらいは、校長室で休み時間を過ごした。

女の先生は、しばらくして赤ちゃんを産んだ。そう、妊娠してたのだ。
先生は、途中からもう一人の男の先生に代わったけど、僕はなじめ
なかった。

それから、次の年にその女先生が学校に戻ってきた。なぜか、担任
だった。そして、その先生が生涯の大恩人になるんだけど、
「あなたは、やればできるのよ」といつも、励ましてくれたのだ。

そんな、様子が全て分ったのは、教育実習に母校を選んで、恩師に
「あの時は、こうだったのよ」と教えられて知ることとなる。
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