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昭和の関取 [少年時代]

今場所限りで東関親方が相撲協会を定年で去られる。
現役時代は、高見山大五朗愛称はジェシー。
大好きなお相撲さんの一人だった。

幕内在位は今でも大相撲記録だ。昭和には名関脇として
長谷川関もいぶし銀のようにいるが、愛嬌があって国民に
親しまれたのはジェシーには敵わない。

先代の貴ノ花関とは、よく弁慶と牛若丸と言われ数々の
名勝負を残した。また、弟子同士の横綱貴乃花と横綱曙
との対決は、その再現と騒がれた。

およそ20年の現役を勤め、帰化し相撲部屋も起こした。
先の曙関はじめ幾多の力士を育てた。
まさに、外国人力士のパイオニアであった。

仮に、先々代の高砂親方がハワイでスカウトしなければ
その後の外国人力士の活躍も無かったかもしれない。
「辛抱」や「努力」など広く世間の人は彼に学んだと思う。

当時でさえ、日本人は我慢や辛抱が足らずに逃げ出す
ような相撲の世界。日本人よりも日本人らしく耐えた。
「目から汗がでた」など、今の若者には通じないだろう。

東西の横綱が外国人で、明日の取り組みでも白鵬関
か日馬富士関かどちらかが優勝だろう。
以前にも書いたが、遠い外国から来て本当に裸一貫で
頑張る彼らに頭が下がります。

言葉も通じない、食べ物も違う異国で幕内最高優勝も。
しかし、腰高で投げに脆い彼は、負け方も思いっきり
良くて、それも人気の一因でした。

昭和天皇は、高見山関の贔屓で彼が現役をやめる
と言った時には、側に残念だともらしたとか。
それを聞いた、高見山関は「もったいないです」を
二度口にして涙を流したそうです。

僕の少年時代には、そんな昭和の輝かしくも切ない
物語が多くありました。
ちなみに、高見山関が平幕優勝したのは昭和47年。
当時のニクソン大統領からの祝電が表彰式には読み
上げられた。

しかし、今日の朝青龍関の姿は悲しく映りました。
風邪引いても頑張ったんだからね。
来場所、また、強い横綱を見せてください。

タグ:高見山
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youzi

高見山って、懐かしい名前ですね。
いつもニコニコしているってイメージがある力士でした。


by youzi (2009-05-24 13:38) 

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