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雨 [歴史]

雨と言えば、桶狭間の戦いが有名です。時は1560年(永禄3年)
5月19日(現代の暦では6月12日)、つまりは梅雨の頃です。
定説では、2万5千の兵力の今川義元軍を、わずか2000の
織田信長軍が打ち破った戦いとされています。

まさに、奇襲作戦。明らかに劣勢であった田舎の新興武士団が
大軍に立ち向かうには、これしかない逆転劇的な方法であったと
言われています。

古くは、天才源九郎義経が一の谷で、奇襲したのがありますが、
信長のこの戦いは、先例を真似たかも知れませんが、型やぶり
過ぎています。

「信長記」や「信長公記」などを元に、諸説がありますが、所謂この
奇襲作戦は、実は作戦とも云えぬ愚行であったのですけれど、
成功してしまえば、たいしたものとなりますが、どうですかね?

熱田神宮で神仏に祈願し、勝利したともありますが、そんな余裕は
果たして、あったのでしょうか?誠に疑わしい。
とにかく、窮鼠猫を咬むとも言われますけれど、夜半信長は清洲城を
一人で馬上に飛び出した時には何も考えてなかったのではないの
かと推察します。

静岡大学の小和田教授の説によれば、合戦の場所も田楽狭間と
する説に対して桶狭間山周辺での、視界の悪いところでの戦い
であるとなります。

そこに、視界をさらに遮る豪雨。敵の正面に出て慌てたのは、
信長自身だったのではないでしょうか?
とにかく、まさかの本隊のまん前。
思い切って突っ込むと、そこには、眉を落とした公家顔の義元。

吃驚しているうちに、でぶっちょ大将の首は落とされたのでしょう。
まさに、大成功。
しかし、この先例を真似てか、今から70年近く前に。

あの日本帝国海軍は、真珠湾に奇襲攻撃をかけます。
本隊はそこになく、太平洋戦争の敗戦はそこで決まっていた
ようなものです。

古くから、人々は戦いを繰り返しますが、歴史の奇禍としか言えない
一の谷の戦いや桶狭間の戦いを、信じているようなことは今は無いと
思いたいですけれど、雨の火曜日に視界不良の会議や隣国の強硬な
態度などに、不安を覚えるのは私だけかな?
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コメント 1

omutu

みかんママさん ナイスありがとうございます。

シノノメさん ナイスありがとうございます。

youziさん ナイスありがとうございます
by omutu (2009-04-17 01:09) 

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