SSブログ

二日の休み [徒然に]

ブログの更新を二日休んだ。早く、続きを書こうとしたが、夜の付き合いも
あってなかなか、難しい。
体調が万全でもないのに、飲んだものだから、二日酔いになった。

第7回の工程会議出席。内装の色などを決める。茶系の落ち着いた感じ
と木目の暖かみを基調として、話し合う。来週も続けて会議の予定。
毎週、土曜日も仕事です。忙しいことは良いことだ。

今日は、中学校の思い出を加筆したい。とここまで書いて後は、夜。

今日は、夜のウォーキングで11460歩。頑張ったよ。夕方早くに、ご飯を
食べたので、8時から歩けました。運動公園もその時間だと、何組かの
歩く人や走る人がいます。土曜日なので、テニスコートでも二組ほど、
ナイターで練習していた。運動には良い季節です。

さて、思い出日記に書き加えたいことは、担任のオサム君のことと、シンちゃん
そして、レアちゃんのことだ。
当時、25歳くらいだったオサム君は、僕達を担任するのが初めてだった。
それまでは、副担任しかしていないから、力が入っていた。

名前が難しい。「統」と書いて、なんて読むっていうのが、彼がした最初の質問
だった。僕は、読めなかったから、「わかんない」と大きな声でいったら、レアちゃん
が、スッと手を上げて答えた。「おさむでしょ」
先生「はい、正解。でもなんで読めたの?」

レアちゃんは、とても優秀な娘でした。近所のお寺の子で、お母さんは、僕達の
保育園の先生でした。お父さんは、当時では珍しい変わり者で、お寺に障害の
ある人たちを集めて面倒をみたり、親の無い子供も預かっていました。

小さい頃から仲が良かったので、よくお寺にも遊びに行きました。レアちゃんは
ものすごい数の本がある部屋で勉強していました。たぶん、お父さんの本だった
のでしょう。とても、難しい細かい文字の本をたくさん読んでいました。

だから、大概の漢字は音読みも訓読みも出来ていました。
僕「先生、レアは何でも読めるんだよ」
先生「へぇー」
シンちゃんは、そんな僕達のことをよくからかいました。この子は、とても大きな
農家の跡取りで、ちよっと大人びていたので、へんなことを言いふらします。

レアちゃんはとても、色が白くてちょっと外人さんみたいな感じがしたし、僕は例の
病気があったので、二人とも普通とは違うから、今で言うイジメの対象にはなりやす
かったのでしょう。でも、本当に仲が良かったのも事実でした。

オサム君は社会の先生で、その時は歴史の授業で、五街道の成立について勉強
していました。「なぜ、五街道は盛んに使われるようになったのか?」と先生。
僕「はい、戦乱も落ち着き、貨幣経済が主流となったので、商品流通や商人の通行に
よく、使われたからです」
先生「それは、教科書に書いてある通りだな。他に無いか?」
レア「たぶん、参勤交代の時に、宿場がにぎやかになったせいでしょう」
先生「そうだね、景気が良くなったわけだ。今も日本は景気が良くなったから新幹線も
高速道路もどんどんできている。まさに田中角栄様様だ。この当時も、徳川家の政策
が時代にマッチしたわけだな」と言うことで、なんか歴史だか経済だか分からない。

東 海 道  五十三次    百二十六里六町一間  約492km   496.1km 
中 山 道  六十七次  百二十九里十丁八間 約505km   520.3km
甲州道中  四十四次  五十三里二十四丁余 約208km   211.3km
日光道中  二十一次  三十六里三丁二間 約142km   147.7km
奥州道中 十次    二十一里十八丁十四間半 約 85km    86.7km

日本橋は五街道の起点です。

とにかく、授業中は二人ともよく手を上げて発言をしていた。時には口げんかになったり。
でも、二人きりで話したことはほとんど覚えてない。僕は晩熟だった。
タグ:五街道
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

過去にもう一度心配事 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。