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坂本 竜馬 [歴史]

19歳の春、東京。晴海ふ頭で東京湾を眺めていた。
100年以上前にやはり、この海を眺めていた人がいる。嘉永6年6月3日
竜馬も19歳。江戸に出て初めて世界と対面する。そう黒船来航。

大学生時代に、一番影響を受けたのは、司馬遼太郎さんの「竜馬がゆく」だった。
それまでの田舎ぐらしから、東京は銀座にバイトの関係で住みだして
神田の千葉貞吉道場に住み込む、竜馬の姿が自分に重なり、勝手に思い込んでた。

北辰一刀流を編み出した千葉周作の実弟で、剣では周作に劣った貞吉ではあったが
道場の経営は優れていたと思われる。師匠の一子、重太郎と勝海舟を切りに出かける
竜馬には、全然、勝を切る気はなかったろうけれど、いいとこのボンボンの重太郎に
無理矢理同行を頼まれて、渋々一緒に歩く姿が目に浮かぶ。

そこで、また、竜馬は世界について勉強することになる。その当時の、武士社会では
藩こそが国であり、藩主のもとに生活が保障されているわけで、アメリカの入れ札で
親分(将軍)を決めるなどは、とんでもないことと受け止めたに違いない。

この春、私たちの会社も、株式会社になった。カンパニーだな。竜馬が作った日本初の
商社、亀山社中に遅れること、143年。これから、どんなことになるのか楽しみだ。
よく、竜馬は先が見える人だとか、先例を恐れないとか言われるが、古いことも新しい
ことにも、興味があったと思う。たまたま、「俺は、昨日の俺ならず」などの言葉が
語録として残っているので、勘違いしている人も多い。

さて、昨日の続きだが、高校3年生になった自分は、夏休みもほとんど遊ばす、日焼けもせず
受験勉強をしていた。我々の時代、どこか大学に入らないといけないみたいな空気があり
「日・東・駒・専」ぐらいは、受験しないといけない。まあ、私立の文系なら馬鹿でも入れる。

そんな中、国立も視野に入れて頑張ってはみたんだけど、なかなか経済的に難しいわけで
新聞奨学生という制度を使っての学費捻出と大学の選択になる。
もちろん、浪人なんてのはあり得ない。どこか、入らなければいけない。比較的、勉強は
苦ではなかったので、どうにか形はついた。でも、苦学生には変わりがない。

それで、一年が過ぎて、晴海ふ頭に立った訳だ。




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