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秋ですね [恋愛の話]

若い頃、格好良いって何だろうと考えたことがある。
今日は、鈴木雅之さんのCDを聞きながら思い出す。
「後悔するよ、こんな別れ方」なんて気障な台詞も
「違う、そうじゃない」って言っても・・・もう遅い。

前にも書いたけれど、決して別れるなんて考えてないのに
言葉にしたら、「そう、私もそう思ってたの」なんて。
秋は別れの歌が良く似合う。

男は未練タラタラなのに、どうして女の人は別れたら
ハイ、別の人って感じかな?
恋愛は片思いの方が良いですね。

この年になると、胸がキュンとなるような出会いはなくて、
この人のこと好きかも?くらいがあります。
それで、思いが伝わらなくて良いのです。

しかし、実はびっくりしているのは、50歳を過ぎても人を
好きになる気持ちがあると言うことです。まあ、当たり前
なのですが、若い頃は想像できませんでした。
恋愛は若い人の特権と思っていたのでしょうかね。

改めて、家にあるCDなど見てみると恋愛に関する曲が多いこと。
やはり、漱石の「草枕」は正しい。
だから、名曲を聞き名画を観るようにしているのは大人の正しい
生き方なのですね。

先週は、宇江佐真理さんの「雨を見たか」を読みました。髪結い
伊三次の物語ですが、今は見習い同心、不破龍之介の物語みたい
になっています。しかし、筆者が大切にしている永遠のテーマ
「幸せはごく普通の生活の中にある」は貫いていますね。

主人公に共感して読書するより、親みたいな気持ちで読ませる
ことも、この筆者は上手です。やはり、年のせいですかね。
並行して、後藤武士さんの「読むだけですっきりわかる日本地理」も
読みました。
頭の体操になります。興味の無い人には面白くないかも・・・。

秋は読書の季節です。「ちょうど渋谷で五時」は難しい年頃です。
タグ:渋谷で五時
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ゴールデンウィーク [恋愛の話]

去年もゴールデンウィークについて何か書いたけれど、
この時期、一番思い出す風景は・・・。
やっぱり、田舎なので田植えの様子。友達と遊ぶために
田植えの手伝いをした。

次に、この時期の風景は、日比谷の映画街。山口百恵&
三浦友和ゴールデンカップルの映画にすごい行列を見た。
一度だけ彼らの映画を観たことがある。

茨城県がロケ地で大洗と那珂湊を繋ぐ海門橋が登場する
映画だったけれど、題名は何だか忘れた。
たぶん、当時付き合ってた彼女と観たのだけれど、
よく覚えていない。

最も印象的なこの時期の風景は、やはり昭和55年5月5日
の塩尻峠の渋滞。
大型連休には遠くに行かない方が良いと学んだわね。

さて、16連休というところもあるらしい、今年の連休はどうするか?
暦どおりに働きますね、とりあえず。
明日は、少し仕事もするけど・・・。

5月4日は、義父の七回忌。同じ日に友達からBBQの誘いも。
どうかな?まだ、当日の流れ次第。
他の連休は、家の片付けや掃除かな?

ところで、なんで恋人と映画を観たのに覚えていないのか?
きっと、別のことが気になっていたのかな。
いや、違うな。前にも書いたと思うけれど、百恵ちゃんがあまり
好きじゃなかった。

だから、映画を観てもつまんない感想を言っちゃったから、
せっかくのデートが口喧嘩になってしまって、トホホの一日
だったから、記憶から消されてしまったのだろう。

大人になるにつれて、忘れることが多くなる。
まあ、それが健全なのだろうけれど、特に嫌な思い出は
自分で忘れるように忘れるようにしているのだろう。

だいたい、若い頃は彼女とのデートプランを建てて勇躍
出かけるのだけれど、思った通りになったことが無い。
自分がわがままだからと思うのだけれど、女子の気持ち
が分からない。

悲しい恋愛の映画なんか観ても、こっちは全然悲しくないし、
ご飯を食べながらお話しするのはなかなか難しい。
だって、小さい時から食べる時は静かにと言われたし・・・。

もともと、おしゃべりなので食事中に黙ってしまう僕を
多くの彼女達は理解できなかったのか?
いいや、食べるのに夢中で目の前に誰がいるのか
関係ない性格のせいか?

ともかく、若い時は悲しい恋の話が多いのです。
まあ、今時の若者よりは傷つきやすかったのかな?

結婚してみると、女の人もやはり人間なのだと幻滅
することは、確かにあると思いませんか?男性諸君!

時に恋愛は、人間を成長させるものです。

タグ:あきらめ
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秋の気配 [恋愛の話]

小田和正自己ベストの2曲目、シングルカットはOff Courseの11枚目で、
1977年8月5日発売。どうしても、日曜日の続きになってしまう。

あれがあなたの 好きな場所
港が見下ろせる 小高い公園

あなたの声が 小さくなる
僕は黙って 外を見ている

目を閉じて 息をとめて
さかのぽる ほんのひととき

こんなことは 今までなかった
僕があなたから 離れてゆく
僕があなたから 離れていく

二十歳の頃、港の見える丘公園にてデート。
山下公園で氷川丸を見て、馬車道を歩く。
元町通りは華やかな感じだった。
ハマトラの娘達、外人墓地の前の喫茶店が
この曲の世界かな?

何年かして、一人で訪ねた時はどこを歩いてもジーンと来た。
失くした恋は、二度と戻らない。あの時の、あの感じは・・・。

たぶん、思い出の中の曲作りだったのではないか?
恋は終わっているのに、自分から遠ざかって行くような心象風景を。

たそがれは 風を止めて
ちぎれた雲はまた ひとつになる

あの歌だけは 他の誰にも
歌わないでね ただそれだけ

大いなる 河のように
時は流れ 戻るすべもない

こんなことは 今までなかった
別れの言葉を 探している
別れの言葉を 探している

ああ 嘘でもいいから 微笑むふりをして

僕のせいいっぱいの やさしさを
あなたは受け止める はずもない

こんなことは 今までなかった
僕があなたから 離れてゆく

こんなことは 今までなかった
僕があなたから 離れてゆく

あくまでも、個人の感想ですが、こんな別れ方はできない。
だから、自分の恋へのラストシーン。
彼女への思いを振り切るための歌のように思う。

何が二人にあったのだろう。僕達も19歳からの一年にいろんなことがあった。
黄昏が似合うのですよ、この公園は。
確かにちぎれた雲もひとつになるかも。でも、二人はもうひとつにはなれない。

その人は、大人の恋に憧れて、僕は現実のまま。
「嫌いになったんじゃないの」
「じゃあ、どうして別れるの?」
「・・・・」

声が小さくなって聞こえない。目の前のあなたが霞んでいく。
帰り道、何も言葉を交わさず、駅で別れる。
とても、東京まで一緒に帰れない。関内にいた友達の家に転がり込んだ。

さあ、明日はどうする?そして、どうなる?
タグ:秋の気配

木綿のハンカチーフ [恋愛の話]

散歩して来ました。9454歩。まあ、合格。

高校2年の夏休み。見事、自動二輪の免許を取った僕は、その夜、興奮してよく眠れなかった。
オートバイを買うためにアルバイトを探した。職安に行くと、○東冷蔵という会社と鈴○鉄工という
会社が高校生でもアルバイトをさせてくれると言うことだった。

担当の人には、「冷蔵という仕事は体を冷やしてしまうから止したほうがいい。鉄の工作をする会社
はすこしは、機械を使うから危険だけど、高校生だから多分、簡単な作業だからそちらにしなさい」
と言われた。早速、自転車でバイト先に向かう。職安からは電話で連絡してもらっていた。

工場の責任者と面接して、「明日から来ていいよ」と言われた。作業服はこちらで用意するから
普段着でいいとも言われた。次の日の朝、お母さんに弁当を作ってもらって、工場から差し向けら
れたマイクロバスに乗り込む。
バスに乗って、びっくりしたのは、その会社に従兄弟が働いていたことだ。

作業場所は違うけれど、お昼は従兄弟と弁当を食べた。僕の仕事はブレーキの部品の仕上げ
みたいな工程で、通称バリ取り。つまり、金型からでてきた物の小さな円形の部品の突起を
サンダーで取るのだ。当時は、作業の時にマスクなんかかけない。
だから、のどや鼻が痛くなった。

従兄弟にそれを言うと、「馬鹿だなぁ、口と鼻をタオルでふさぐんだよ」と言われた。午後からは、
首に巻いていたタオルで目から下を覆ったら、なんてことは無かった。
さすがに、ガテン系が長い従兄弟は違う。
ただ、あまりに単純作業だし、サンダーの機械の音が煩くて、何も話せないし、たった一人の仕事
なのでとっても飽きたな。でも、バイクのために頑張った。

二週間は通ったな。確か5万円くらいは稼いだ。それで、バイクを買いに家の近くのバイク屋に
行って、あの「パララン25」を手に入れた。
それから、海にナンパに行こうとしたら、もう夏は終わっていた。

その年の終わり頃、太田裕美さんの「木綿のハンカチーフ」がヒットした。次の年はオリコン第2位に
なるが、1位には「泳げ、たいやきくん」がいたので、どうしても1位にはなれなかった。
その歌の内容と同じような恋愛をするのは、その翌年、大学生になってからだ。

恋人同士だった二人のその彼が都会へ旅立つ時に、その場に留まる彼女は「都会の絵の具の
色に染まらないようにいつか帰って来て欲しい」という、彼への切なる願いから始まっている。
しかし、その彼女の願いも空しく、彼は都会の色にだんだん染められ変わってしまってゆく。
そしてついに彼は彼女に対して「君を忘れてもう帰れない」
という。彼と別れる覚悟を決めた彼女は、彼に最後のわがままとして
「涙を拭く木綿のハンカチーフを下さい」と、あまりにも哀しい内容の終わり方で締めくくっている。

僕の場合は、彼女も東京には行ったんだけどね。


R35 [恋愛の話]

昨年のクリスマス、家内に「R35」というCDをプレゼントした。
そう、今では150万枚のミリオンだ。今から、だいたい15年前
妻もまだ二十歳になったばかりの頃の、ラブバラード集だ。

本当に良い歌が入っているね。おじさんはもうR45ぐらいなんだけど
カラオケで歌うと、大概は音をはずして怒られながらやってます。
マッキーもなかなか声が出ないよ。音が取れない。

山根くんの歌は、190万枚も売れたそうですが、これが、また難しい。
ドラマの主題歌になっているものもあるので、しゃべりはバブルの終わりの頃に。
とても景気が良かった時代です。すぐ、はじけちゃうけど。

恋愛は、若い頃のテーマです。夜中に、友達とニセDJ番組を録音してた時、
必ず、恋愛は外せない。だけど、通ってた学校が男子校で女子との出会いは
事務員の典子さんだけ。あの子はいくつだったのかな?あとは、おばさんで
これは、近所の人だった。

高校の2年生の夏休みだったかな。友達と海までツーリングして、浜辺でナンパ。
僕はしゃべりはばっちりなんだけど、見た目がちょっとね。もう一人は、とても
ハンサムなんだけど、話がダメで・・・。いつも、最初の3分ぐらいで、バイバイって。

それでも、何度かトライして成功。一緒に泳いだり、焼きそば食べたりしたな。
でも、夏の恋は続かないね。バイクで家まで送った娘もいたけどね。
発展したのはゼロ。結局、まともな恋愛はその秋に、突然やってくるのだ。

昭和50年秋、その頃、まだJRは民営化されていなくて、国鉄だった。「スト権スト」
なんてものがあって、高校は休みみたいになってしまい。学校へ続く坂道を
なぜか、登り損ねて、友達と隣町まで遊びに行ったのだ。

たぶん、初めてその娘を見た時に、一目ぼれ?なんとも言えない。ちょっと
衝撃だったな。ともかく、男友達しか居ない訳で、どうしてマージャンをやろって
なったのに女の子がいたのかな?ひよっとして合コンみたいな感じか、今で
言えば。

その頃は、男の子はオートバイに乗ってないとイケテナイ。当然、僕も乗ってた。
バイトで貯めた金で買った、ホンダCB250cc通称パララン25!あんまり格好はよくない。
けど、原チャリクラスよりはまし。初めからバイクの後ろに彼女は乗ってくれたっけ。

海でも山でも、みんなで走ったな。あまりに楽しすぎて、スト中の8日間はあっと言う間に
過ぎました。彼女は、商業高校へ通っていたので、ストが終わっても送り迎えしたりして。
未来予想図の世界だね。

そんでもって、遊んでばかりの毎日で、次の定期試験では30番くらい成績が落ちてしまった。
担任を相当がっかりさせてしまったらしく、大学推薦の話が無くなった。
ヤベーってんで、真剣にそれから勉強したな。けれど、もう5番以内には入れなかった。残念!

注意*学生は勉強が本分です。


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