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巨人・大鵬・玉子焼き [少年時代]

東京、初場所は白鵬関と日馬富士関の二横綱に絞られて
きました。稀勢の里も2敗ですが、どうですかね?
さて、19日に元横綱大鵬の納谷幸喜さんが亡くなりました。

72歳でしたが、37歳で脳梗塞を患い懸命のリハビリで
日本の大相撲にも大貢献した、とても、とても偉い人です。
子供の頃の、スーパースターでしたね。

表題のコピーが堺屋太一さんのものと知りませんでしたが、
当時の子供たちの好きなものでしたね。強いものに憧れた
時代でした。

いつの時代も子供たちは、強いものには憧れますがね大鵬さん
は、そればかりではありませんでした。
口数の少ない、寡黙なイメージでした。

しかし、本人はどうなのでしょうかね?ロシア人と日本人のハーフ。
その頃は、もちろん、アイの子なんて言われていじめられたのでないのかな?
定時制に通いながら営林署の職員だった所を、先代の二所ノ関親方に見込
まれて東京に連れて来られたようだ。定時制は中退した。

体は大きかったが痩せていて、これが本当に横綱になる人かしらと、子供のころにも
テレビで見て思ったから、頼りない感じだったように記憶している。
しかし、入幕からはスピード出世で、最高位まで。

柏戸関と同時に横綱に昇進した。彼らの取り組みは、少年の目と耳を虜にした。
柏戸関には、銀座でよく挨拶した。東京に出て、銀座の新聞店に住み込んだが、
近くに柏戸さんのちゃんこ屋があった。

大きな方でもなく、私らが声を掛けても気さくに応えてくれて、感動した。
大鵬さんはテレビでしか見たことがないが、病気が無かったら、理事長として
相撲界も随分に違ったものかとも思うが、この前の野球賭博の元凶は婿の
大嶽親方(貴闘力)だったのでどうかな?

まあ、懐の大きな人だったことは確かでしょう。お孫さんが3人相撲をやっているそうで
楽しみですね。
いつも、昭和が遠くなったなどと書いてますが、今回は、なんとなくそんな気はしない。

病気をしても、人前に出て頑張っていた大鵬さんは今の人だからかもしれない。
ご冥福を祈ります。ありがとうございました。
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