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木綿のハンカチーフ [恋愛の話]

散歩して来ました。9454歩。まあ、合格。

高校2年の夏休み。見事、自動二輪の免許を取った僕は、その夜、興奮してよく眠れなかった。
オートバイを買うためにアルバイトを探した。職安に行くと、○東冷蔵という会社と鈴○鉄工という
会社が高校生でもアルバイトをさせてくれると言うことだった。

担当の人には、「冷蔵という仕事は体を冷やしてしまうから止したほうがいい。鉄の工作をする会社
はすこしは、機械を使うから危険だけど、高校生だから多分、簡単な作業だからそちらにしなさい」
と言われた。早速、自転車でバイト先に向かう。職安からは電話で連絡してもらっていた。

工場の責任者と面接して、「明日から来ていいよ」と言われた。作業服はこちらで用意するから
普段着でいいとも言われた。次の日の朝、お母さんに弁当を作ってもらって、工場から差し向けら
れたマイクロバスに乗り込む。
バスに乗って、びっくりしたのは、その会社に従兄弟が働いていたことだ。

作業場所は違うけれど、お昼は従兄弟と弁当を食べた。僕の仕事はブレーキの部品の仕上げ
みたいな工程で、通称バリ取り。つまり、金型からでてきた物の小さな円形の部品の突起を
サンダーで取るのだ。当時は、作業の時にマスクなんかかけない。
だから、のどや鼻が痛くなった。

従兄弟にそれを言うと、「馬鹿だなぁ、口と鼻をタオルでふさぐんだよ」と言われた。午後からは、
首に巻いていたタオルで目から下を覆ったら、なんてことは無かった。
さすがに、ガテン系が長い従兄弟は違う。
ただ、あまりに単純作業だし、サンダーの機械の音が煩くて、何も話せないし、たった一人の仕事
なのでとっても飽きたな。でも、バイクのために頑張った。

二週間は通ったな。確か5万円くらいは稼いだ。それで、バイクを買いに家の近くのバイク屋に
行って、あの「パララン25」を手に入れた。
それから、海にナンパに行こうとしたら、もう夏は終わっていた。

その年の終わり頃、太田裕美さんの「木綿のハンカチーフ」がヒットした。次の年はオリコン第2位に
なるが、1位には「泳げ、たいやきくん」がいたので、どうしても1位にはなれなかった。
その歌の内容と同じような恋愛をするのは、その翌年、大学生になってからだ。

恋人同士だった二人のその彼が都会へ旅立つ時に、その場に留まる彼女は「都会の絵の具の
色に染まらないようにいつか帰って来て欲しい」という、彼への切なる願いから始まっている。
しかし、その彼女の願いも空しく、彼は都会の色にだんだん染められ変わってしまってゆく。
そしてついに彼は彼女に対して「君を忘れてもう帰れない」
という。彼と別れる覚悟を決めた彼女は、彼に最後のわがままとして
「涙を拭く木綿のハンカチーフを下さい」と、あまりにも哀しい内容の終わり方で締めくくっている。

僕の場合は、彼女も東京には行ったんだけどね。


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